背信の科学者たち

背信の科学者たち―論文捏造、データ改ざんはなぜ繰り返されるのか (ブルーバックス)

背信の科学者たち―論文捏造、データ改ざんはなぜ繰り返されるのか (ブルーバックス)

1980年代に出た古い本の復刻本.昨今のねつ造ばなしを聞くにつけ,やはり,人ごとではないので読んでみた.

ねつ造のようなミスコンダクト(倫理的逸脱行動)について概観してみると,科学というのが真理を追究する営みというより,通常の社会活動と言うことがよくわかる.みな,地位や名誉を求めたり,強いプレッシャーを受けたりしながら,科学研究という生活を送っているのだ.そのような生活の中で,多くの人々が日頃そこここでみるように,ズルをしたり,うそをついたり,他人を騙したりするのである.科学者だからといって特別なことは何もない.

この本を読んでみて驚いたのは実は別のところである.それは,心理学をかなりたくさん取り上げていたことだ.科学一般における心理学の影響力を考えると過分に多いような気もした.出版の時期的にグールドの人間の測りまちがい―差別の科学史に影響されていたのかなと邪推がおこる.一方で,心理学がねつ造などのミスコンダクトが起こりやすい研究領域であることも確かな気もする.

というわけで,心理学に関するミスコンダクトについて思うことを以下に書いてみよう.

本書ではミスコンダクトが起こりやすい条件として,1.単独で研究を行うこと(一匹狼),2.データの収集者が多量の作業員のひとりとして扱われること(論文生産工場のスタッフ),をあげている(他にもポジティブデータへのプレッシャーなどがある).心理学は特に1.に当てはまるケースが多い.このあたりは指導者や研究機関,学会などがなにか歯止めとなるシステムを設ける必要があるしれない.

例えば,Psychonomic Society は,そこで出版する論文に記載された材料(例,プログラムスクリプト,刺激)やローデータをアーカイブとして登録するように求めている.今のところ強制ではない.だが,登録する研究者としない研究者では,その人の出してくるデータの信頼度に違いが出てくるかもしれない.実際,引用件数などは登録している場合で上がっているようである(未確認情報).

また,Cognitive Neuroscience SocietyもJournal of Cognitive Neuroscience に掲載される論文の脳画像データについては,ローデータをアーカイブに登録するように求めている.これは本来ミスコンダクトを防止するためにだけに取られた措置ではないが,データのねつ造や改ざんなど深刻なミスコンダクトの防止に役立つであろう.

ただし,心理学の場合,人間のデータを取るのでどうしても守秘義務の問題が出てくる.ローデータを誰にも公開しないということで研究への参加を依頼することも多いだろう.公開を前提とした場合,被験者の反応が社会的にのぞましい方向へ変化する可能性もある.また,被験者が情報公開をおそれて集まりにくくなるかも知れない.

あるいは,データの収集後ある一定期間(例,5年)でローデータは破棄することを同意書に盛り込むことも珍しくはない.この場合,第三者機関のアーカイブにローデータを預けることは出来ない.

個人的には,研究機関単位でローデータの保存はした方がいいとも考える.もちろん保存データにおいて,個人を特定できる情報はすべて削除され(あるいはもともと記載されておらず),事前に被験者に承諾を受けたごくわずかな関係者以外は基本的に閲覧不可能にする必要はあるかもしれない.ただし,関係者には研究機関長,機関の倫理委員など実施された研究と直接関係のない人間を必ず含む必要がある.なお,他の研究者からの情報開示要求については,研究機関長なり,倫理委員長の権限の下,個人を特定可能な個人情報が一切記載されておらず,被験者自身の事前の承諾も取れている限り可能とすることも検討すべきであろう.

さて,果たしてそこまでやる必要はあるだろうか?

わたしとしては,Yesの部分とNoの部分がある.ミスコンダクトの防止の視点からすれば明らかにやった方がいい.しかし,これにかかるコスト(金銭的,時間的および人的),強制力などを考えると実現性や実効性は低い気もする.実施にあたっては本来のアイデアは骨抜きになり,抜け道が用意される可能性も高い.また,データの保存状況,閲覧条件が複雑になると,被験者がそれを理解するのは困難になるし,それが理由で被験者はへるかもしれない.あるいは,データのサンプリングに偏りが出る可能性がある.

実際の落としどころはなかなか難しい.

本書を見る限り,科学者の誠実さや再現性の神話に頼るだけでミスコンダクトの問題は解決しない.確かにベーコンが言うように「真実は時間の娘であり,権威の娘ではない.」ねつ造や改ざんがなされたデータは長い時間を経て淘汰されるであろう.しかし,このような自然淘汰のプロセスは100年単位の時間がかかる可能性もある.また,ミスコンダクトの多くを占める,重要でない研究におけるミスコンダクトを減らすことには効果がない.重要でない研究も多くの予算を使用するものであるし,将来の重要な研究にとって文献的な障害になる可能性がある.例えば,論文の審査の過程で先行研究との一致や不一致を指摘されるのは良くあることである.不一致な結果を示す先行研究があるために論文の結論の妥当性が弱まってしまうこともある.この不一致な結果がねつ造によるものだったと考えてみよう.投稿論文を修正する著者たちはひどく無駄なことに労力を使うことになる.

なにかしなくてはいけない.上述のPsychonomic Societyがやっていることが,守秘義務に最大限の注意を払う限り,いまのところ最上のやり方なのかもしれない.

以下,印象に残ったところをメモ.

  • 1962の研究.ある心理学の論文誌に載った53件の研究について,ローデータの提出を求めたところ,9名が紛失したと答え,8名が返事をよこさなかった.無条件でデータを送ってきたのは20名のみであった.
  • アルバート. B.の恐怖条件付け実験はねつ造の可能性が高い.
  • 論文の審査結果は一致しない
  • N線の実験.科学者は信じたいものを信じる.
  • バートの知能の遺伝に関する研究はそこら中にねつ造データがあった.
  • 結構たくさんの人がミスコンダクトを実際に見たり聞いたりしていること.