批判とどうつきあうか?

どんなに自分でしっかり考えて,どれほど完璧だと思っても,自分の主張やアイデアがポロっとひっくり返されてしまうことがあります.クソミソにけなされることもあります.雑誌に投稿して査読者から「この実験計画は非常にプアーだ」とかいわれることもあります.また,同僚や指導者と議論しているとき,自分のアイデアの問題点を見事につかれることもあるでしょう.あるいはなんだかトンチンカンな批判をされ頭に来ることもあるかもしれません.

そういうことに一喜一憂していては身が持ちません.

自分の考えていることがだれからも批判されないくらい完璧なことは決してありません.ひとりの視点で物事を理解するには限界があります.また,研究には多かれ少なかれある程度の妥協が存在します.完璧はないのです.加えて,研究を志すものなら人の意見を聞くより,自分の意見を言いたいでしょう.そんな人たちに囲まれて,批判を受けないで済むわけがありません.

当たり前のことですが,批判は人格攻撃ではありません.研究内容が批判されたからとしても,批判が当人に向かうことはないのです.

しかし,それでも研究者である以上,自分の研究はある意味で自己の投影です.自我関与の固まりです.研究に対する批判に対し,なんの感情も動かさず,論理レベルや事実認定のレベルだけで対処できる人は少ないでしょう.学会などで冷静に対処しているように見える人も内心はけっこう頭に来てることが多いです.わたしとしては研究に個人的な思い入れがある研究者の方が好きです.批判されたら内心頭に来るくらいの方が人間的に好感が持てます.

批判は必ずされるものです.必ず批判されると分かっている以上,感情的に反応するだけではいけません.特にまっとうな批判に対して,感情的な反応のみを返したり,沈黙をもって対処することは批判を一方的に受け入れたと表明することと同じだと思います(すくなくとも有効な反論が出来ない).日常生活ならそれでいいかもしれません.研究生活ではそれでは足りないと思います.

必ずされる批判なら,それを利用しましょう.感情をコントロールし,批判を冷静に論理や事実認定のレベルで対処することが大切です.すると思わぬ発見が生まれることがあります.それは自分だけの視点では気付くのが難しかったことがしばしばです.そこにこそ他人から批判をしてもらうことの意味があるのだと思います.

批判されるのはイヤなものです.思い入れのある研究だからこそ批判されれば感情が動きます.このヤローと思うこともあります.それでも,思い入れのある研究だからこそ,そこで感情だけに流されず,しっかり冷静に見つめ直すことが大切なのだと思います.それによって思い入れのある研究をよりすばらしいものへ押し上げることが出来るのではないでしょうか.

わたしの例ですと,査読者からのクソミソのコメントを,(2日放置した後)しっかり読んで改善した結果,最初に出した雑誌よりいいところで採択された経験があります.

感情的なリアクションをコントロールするには基本的には慣れかなとおもいます.査読者との対応も,数をこなすと感情を殺すのではなく,コントロールして例えばモチベーションに変えたりとうまく利用できるようになります.どうせされる批判なら,さっさと慣れてうまく利用してやりましょう.