余裕のある研究風景

実験の打ち合わせもかねて何人かと昼飯に行きました.酒を飲みながら,2時間くらいだらだら話すんですが,当然研究の話ばかりするわけではありません.つーか,研究の話なんか1/5くらいであとは世間話です.昼間っから酒のんで世間話している時点でかなり余裕のある研究風景ですが,その世間話のなかでオーストラリアだなあ,いいなあと思ったことがあるのでメモ.

3歳の息子がいるJが,来年からの保育所が決まったという話をはじめました.メルボルンでは急激な人口の増加に伴い,保育所などの施設がかなり不足しています.ですから,彼もとりあえず決まって一安心という感じです.ただまあ保育所といってもせいぜい5時までらしい.J,曰く

「送り迎えはA(Jの奥さん)と交互にやるよ.週に3回は早めにかえって子供と過ごすと思う」

とのこと.オージーの早めって3時くらいに帰るってことですから,日本的な感覚だとほんのちょっとだけ職場に来て,帰っちゃうてな感じですね.

JはNやSといった一流の雑誌にもバンバン論文を出してしまう人です.そういうひとが自然に「早めに帰って子供と過ごす」と言うのはいいなと思いました.もちろん彼は研究をやめるわけではありません.おそらく今まで通りのペースで良い仕事をしていくでしょう.

研究って時間をかけたからいいものになるわけでもないですし,必死になったからって大発見ができるものでもないと思うんですよね.もちろん労力は割かなければいけないですし,時間はかかるものですが,普通の生活をしながら充分良い成果があげられるものだと思います.もちろん分野にもよるでしょうが,仕事の質と時間は必ずしも一致しません(全然やらないのは論外です).

オージーには,家族と過ごしたり,趣味やボランティア活動をしたり,仕事以外の友達と会ったりなど自分の時間を充分に持ったうえで一流の仕事をしている人がたくさんいます.わたしも斯くありたいなあと思ったわけです.そうじゃなきゃおかしいと思うんですけどね.むしろ,そういう余裕が質の高い研究には必要だと思います.