わたしたちの見ている世界:じつはほとんど見ていない?

「髪を切ったのになぜ気がつかないの?」

女性からこのように怒りの問いかけをされた男性は多いと思います.ええ,わたしも昨日そういう目に遭いました.

われわれは,0.1mm単位の差を区別できるすばらしい視覚能力を持っています.人間ほど優れた視力(細かいものを見分ける能力)をもった動物はあまりいません.しかし,だからといってすべてを見ているわけではないのです.髪型の変化だってかるーく見逃します.そんなわれわれの視覚的な認識(モノの理解)の限界を端的に見せてくれた実験をご紹介しましょう.

Simons, D. J., & Levin, D. T. (1998). Failure to detect changes to people during a real-world interaction. Psychonomic Bulletin and Review, 5, 644-649(*1).

この実験は,大学のキャンパスを普通に行き交うひとを被験者に行われました.被験者に事前に了解を取ってはいません.行き当たりばったりです.

さて,実験の手続きです.被験者がキャンパス内を歩いていると,実験者Aが声をかけます.

「すいません,Risley Hallはどこですか?(*2)」

道を訪ねられた被験者は道順を説明します.その際,実験者Aは被験者ときちんとアイコンタクトを取るように心がけます(*3).10-15秒ほど会話を続けると,実験者Aと被験者のあいだに,大きなドアをもった男たちが割り込んできます.

この割り込んできたドアのせいで,実験者Aは被験者の視界から一瞬だけ消えてしまいます.そして,コントのようなことが起こります(*4).

この視界から消えた一瞬に,実験者Aは,ドアの後ろに隠れていた実験者Bに入れ替わります.このふたりは全く別の人間で,着ている服も違えば,身長も5 cm違います.性別こそ同じですが,声も明らかに区別が付くそうです.

その後,入れ替わった実験者Bは被験者と会話を続けます.この会話の最中もアイコンタクトを取るように心がけます.

そして,道順をすべて説明され終わったところで(すべてで2-5分),実験者Bは身分を明かしたあと,質問をします.

「すいません.さっきドアが通りすぎたあとなにか変わったことは起こりませんでしたか?」

変わったこと,起こってますよね?だって,話し相手が全然違ったひとに変わってるんですから.
でも,この質問に対し,変わっていると答えたひとは,15人中7人でした.つまり,およそ半分のひとが,会話の相手が変わったことに気付かなかったのです.

おもしろいことに気付いた人の多くは,実験者と同じ世代のひと,気付かなかった人の多くは実験者よりも世代が上のひとでした.これは,異なる集団に属するひとに対する認識は曖昧になることを示唆してます.

このアイデアを確かめるため,実験者に建設作業員の格好をさせてみました.すると,12人中4人しか,気付いたひとは出てきませんでした.つまり,2/3のひとが,会話の相手が変わったことに気付かなかったのです.

われわれはすばらしい視覚機能を備えていますが,すべてのものを見ているわけではありません.ものの見方は単純ではなく,その対象の属性や所属集団によって大きく変化します.その結果として,非常に大きな変化ですら見落としてしまうことすらあるのです.

だから,髪型の変化に気付かないくらいで怒られても困るのです(*5).




(*1)これは専門誌に載った論文ですが,著者らのweb site経由で入手することが可能です.なお,e-mailなどの情報を提供する必要があります.興味のある方は以下を参照してください.
http://viscog.vp.uiuc.edu/reprints/?site_id=1
(*2)建物の名前は論文にありませんでした.ここでは実験が行われたCornell Universityにある建物の名前をいれてみました.
(*3)アメリカでアイコンタクトなしに会話を続ける方が困難です.
(*4)実際,テレビのコメディーショーから実験のアイデアを出したそうです.また,実験の様子は著者らのweb siteで公開されています.実際見てみると本当にコントのようです.興味のある方は以下を参照してください..
http://viscog.beckman.uiuc.edu/djs_lab/demos.html
(*5)なんてことは本人には言いません.