破壊兵器ないはずですが...:イラク戦争の誤った記憶

誰がどう考えても泥沼化しているイラク問題.さすがのアメリカでも撤退を考えるひとも出てきているようです.その一方で,この戦争をまだまだ正義の戦争だと信じているアメリカ人が多いのも事実.先月,北米をいろいろ移動して,アメリカの田舎とカナダの都会で地理的には近いのにずいぶん温度差があることを実感しました.アメリカ嫌いの多いオーストラリアとじゃあ雲泥の差.オーストラリアはイラク戦争に派兵してますし,現政権はアメリカべったりなんですが,市民レベルではこの戦争に積極的に賛成している人はほとんどいないように思います.

今回のアメリカによる侵略行為は,「大量破壊兵器保有する危険なフセイン政権を打倒し,武装解除をもって平和をもたらす」ことが目的でした.しかし,そもそも大量破壊兵器などなかったことは,世界のほとんどのひとが知っているはずです.それがオーストラリアの住んで,日本のニュースをチェックしているわたしの考えでした.でも,違うんですね.けっこう多くのアメリカ人が,未だに大量破壊兵器は存在していた(そしてアメリカが排除した/している)と思っています.

いやー,アメリカ人てのは困ったものですね,で,話が終わればいいのですが,これはおそらく人種や文化差だけの問題ではありません.アメリカって人種的には白人こそ多いもののぐちゃぐちゃですし,文化も「アメリカ」っていう一括りにするには多様すぎます.

なぜ,アメリカ人は大量破壊兵器があったと思っているのか,それ人間の記憶と言う観点から研究したものを本日はご紹介します.

論文は,

Lewandowsky S, Stritzke WG, Oberauer K, Morales M. (2005). Memory for Fact, Fiction, and Misinformation: The Iraq War 2003. Psychological Science, 16, 190-195.

です.

最近の記憶研究のはやりとして,誤記憶(false memory,偽記憶とも言う)の研究があります.だれでも,思い違いや記憶違いをすることはあると思います.このような思い違いや記憶違いがどのようにして生ずるのか,原因は何かなどを調べるのが誤記憶の研究です.

誤記憶研究は裁判証言の有効性などの点から現実とも深い接点があります.また,5-10年くらい前は,カウンセラーに誤った記憶を植え付けられたために生じたさまざまな悲劇が数多く報じられました(*1).このような日常場面や臨床場面に密接に関わるような記憶研究が出てきたのはせいぜいここ20年くらいです.これが,今,記憶研究の中では大きな流れになっています.

このような誤記憶の研究の中でいくつか分かってきたことがあります.イラク戦争の記憶とかかわるのもの,特にアメリカ人が「大量破壊兵器が存在した」と思っていることについて,強く関係するものが2つあります.

ひとつは,暗示されているが,呈示されていない情報を間違って憶えてしまうことです.例えば,枕,布団,夜などの単語を憶えさせると,誤って「寝る」という単語を憶えてしまうことが知られています.

もうひとつは,間違っていると分かっても,誤った記憶を訂正できないことです.例えば,推理小説にいかにも怪しい登場人物が出てくると読者はそれを容疑者として記憶します.おもしろいことに,完璧なアリバイが呈示されたあとでも(容疑者でないと分かっても),その人物は容疑者として記憶されたままなのです(誤った記憶を訂正できない).これはその登場人物のアリバイについてきちんと想起できるときにも観察される現象です.この現象は実際場面でも観察され,例えば,アメリカの裁判において,ある誤った内容の証言がなされた場合,陪審員たちは判事からその証言が誤っていると伝えられても,それを信じ続けることが報告されています.

われわれの多くにとって,イラク戦争の記憶は報道に基づいています.垂れ流された報道は,この2つの特徴にうまく当てはまり,「大量破壊兵器が存在した」という誤った記憶を作り上げたように見えます.

戦争の初期から中期にかけ,われわれは大量破壊兵器が見つかりそうだという暗示的なニュースを何度も眼にしました.国連の調査団が最も怪しいと考えられる場所に向かったという報道もありました.これはまさに「暗示しているが実際には呈示されていない情報」です.おそらく,これらの報道により誤った「大量破壊兵器が存在した」という情報がいったん記憶されたと考えられます.いったん記憶されると,あとから報道で「やっぱりありませんでした」といわれても,その記憶の訂正をするのはとても困難です.そのため,いまでも「大量破壊兵器が存在した」と思っている人が多いと考えられます.

しかし,ここで不思議なことがあります.アメリカ人以外は,「大量破壊兵器が存在する」と思い違いをあまりしていません.記憶の訂正の困難さが,思い違いの原因なら,アメリカ以外でも,例えば,日本でも思い違いをする人が多くいても良いはずです

実は,記憶の訂正はある条件が整うと適切になされることが分かっています.それは,騙そうとする隠された動機を認めた場合です.たとえば,誤った証言を信じる陪審員の場合ですが,証人が陪審員を騙して裁判を有利に運ぼうと画策したことが分かると,陪審員がその証言を信じることはなくなります.つまり,証言に対する記憶を訂正出来るのです.

今回紹介する論文の筆者であるLewandowskyたちは,この隠された動機を認識するかが,大量破壊兵器の記憶の違いに関わっていると考えました.戦争に参加しなかった国,戦争に批判的な国では,この戦争の動機に強い猜疑の念を持っています.つまり,隠された動機があると考えているわけです.おそらく,多くの人は「大量破壊兵器保有する危険なフセイン政権を打倒し,武装解除をもって平和をもたらす」なんてのは,戦争をやるための口実で,国際世論の非難をかわすという隠された動機の口実に過ぎないと思っているでしょう.石油だろーとか,オヤジの敵だろーとか思っているわけです.

まとめると,「大量破壊兵器の廃棄」という理由付けの隠された動機を認知した場合,兵器が存在するという誤った記憶は訂正され,認知しない場合は訂正されないと考えられます.おそらく,戦争に反対するドイツでは隠された動機が認知され,記憶が訂正されるのに対し,戦争が正しいと思っているアメリカでは隠された動機が認知されず記憶が訂正されないと予測されます,

Lewandowskyたちはこの予測を確かめるため,戦争に反対したドイツ,戦争に参加したが批判的なオーストラリア,アメリカの3つの国で,大量破壊兵器の記憶について質問紙調査を行いました.質問紙には,実際にあった出来事,報道があったが訂正された出来事,架空の出来事の3種類が書かれていました.

例は以下の通りです.

実際にあった出来事:クエートのショッピングセンターイラクのミサイルによって爆破された.
訂正された出来事:連合軍の捕虜がイラク兵によって処刑された.
架空の出来事:イラク軍がバグダッド周辺の給水施設を毒物によって汚染させた

参加者はそれらの出来事ひとつずつに対して,(1)聞いたことがあるか,(2)真実か,(3) 訂正報道はあったか(聞いたことがある場合のみ)について5段階の確信度評定を行いました(0-5,絶対にない − 絶対にある).そして最後に,戦争中にイラク大量破壊兵器が見つかったかについても5段階確信度評定を行いました(絶対になかった − 絶対に見つかった).

また,6つの戦争理由について賛成の度合いを5段階で評定しました.理由には,大量破壊兵器の廃棄,アルカイダの殲滅,現政権の打倒,中東の民主化などもっともらしいもの,そして,(ブッシュの親父がはじめた)湾岸戦争を終わらせる(*2),石油の利権を確保するといった隠された動機を暗示するものがありました.これらのうちアメリカでは,もっともらしい理由に賛成する度合いが高くなりました.逆に,他の2国では隠された動機を暗示する理由でアメリカより高くなりました.


さて,それではいよいよ調査結果です.実際にあった出来事,架空の出来事についての種々の評定は3つの国でほとんど差がありませんでした.これは基本的な記憶能力においてサンプル間の差がなかったことを示唆しています.

一方,訂正された出来事ではさまざまな差が見られました.訂正された出来事の真実度評定の値は,アメリカ人で他の2国より高く,アメリカで,およそ3で(*3 )他はおよそ1.5でした.0-5の5段階の確信度評定ですから,2以上の評定は肯定的な評定では真実であると確信していることになります.
さらに興味深いことは,これらの3国の間で訂正報道があったかについての確信度評定は差がなかったことです(およそ3,すなわちどの国も聞いたことがあると評定する人が多かった).

この結果は,訂正報道はどの国でも同じくらい聞いたことがあると評定しているにもかからず,アメリカ人だけ訂正された出来事を真実だと思っていることを示しています.Lewandowskyらはさらに細かく分析をし,独と豪では訂正報道を聞いたことがあるとする評定が上がると真実度の評定が下がるのに対し(負の相関関係),アメリカではこの2つに統計的な関連がないことをあきらかにしました.

さらに,Lewandowskyの基本的なアイデアである「大量破壊兵器の廃棄」という理由付けの隠された動機(例えば,石油,親父の仇討ち)を認知した場合,兵器が存在するという誤った記憶は訂正され,認知しない場合は訂正されない」を具体的に調べるため,大量破壊兵器への賛同度と訂正された出来事の真実度評定の関連を調べました(*4).国ごとに分析を行った結果,独と豪では賛同の度合いが低いほど真実度評定の値も低いという結果が得られました.賛成度が低いほど,その動機を疑っている,あるいは隠された動機があることを認識していると考えられます.したがって,この結果はLewandowskyのアイデアを「隠された動機が認知されれば記憶は訂正される(されやすい)」を支持しています.一方,アメリカでは賛成度と真実度評定の間には統計的な関連がありませんでした.アメリカで大量破壊兵器に関する賛同が高かったことを考えると,この結果は「隠された動機が認知されなければ記憶は訂正されない(されにくい)」を支持しています.

今回の結果はいくつかの点で興味深い事柄を含んでいます.まずひとつは,アメリカ人に圧倒的なイラク戦争のへの肯定は必ずしもアメリカの文化,国民性だけに帰することは出来ないことです.今回のデータはどの国でも状況がそろえばアメリカ人のように「大量破壊兵器を発見した」と信じてしまう可能性があることを示唆しています.もうひとつはメディアの流す情報の怖さです.メディアは実際のところものすごい量の誤報を流します.中には意図的な悪意のすら感ずるものすらあります.残念ながら,多くの状況においてわれわれは隠された動機を見つけることは出来ないでしょう.従って,今回の結果はメディアが作り出す誤報を記憶の中で訂正するのがかなり困難であることを示しています.特にアメリカでもドイツでもオーストラリアでも,訂正報道に対する確信度は変わらないのに,真実度の評定はアメリカで高くなったことは,記憶の訂正が非常に困難であることを示しています.つまり,間違っているとあとで教えられ,それを憶えていたとしても,訂正することは難しいのです.

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(*1)このへんの話はロフタスの「抑圧された記憶の神話―偽りの性的虐待の記憶をめぐって」および,そのなかで批判されているハーマン「心的外傷と回復」の双方を読んでおくといいかなと思います.前者は誤記憶の問題から心的外傷を重視する心理臨床を激しく攻撃する本です.後者は心的外傷が如何にわれわれの精神に問題をもたらすか,そしてそれを解決するすべはあるのか書かれています.どっちもいい本です.どっちも読んでうまく自分の視座をもうけることが必要かなと思います.
抑圧された記憶の神話―偽りの性的虐待の記憶をめぐって

心的外傷と回復 〈増補版〉

(*2)オヤジの敵を取るってことだと思います.
(*3) 出来事を聞いたことがあると答えた人のみ.本文の図2
(*4)手続きはもう少し複雑ですが省略します.

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