出会いに照れるな

わたしはもともとそれほど社交的ではありません.パーティーに誘われたら,まずめんどくさいなと思いますし,自分から人を誘って昼飯を食べに行ったり,飲みに行ったりということもほとんどありません.でも,ひとから誘われたら基本的には断らないようにしているので,みなさんけっこう誘ってきます.

なんでめんどくさいのに行くのかと言えば,やはり,必要だから行くのですね.実際,強くそうすべきだと思っています.パーティーで話す,お茶を飲んで話す,ビールを飲んで話す.ほとんどの話はたいしたことのない世間話ですが,こういうことがかなり大事だと言うのがメルボルンに来てから実感としてわかってきました.

なぜ大事なのでしょうまず?まず,1点目は話すことによりいろいろなことがわかってくること.特に新参者の場合はわからないことばかりですから,聞くことすべてが役に立ちます.ある程度慣れてきても,話すことでいろいろ新しい発見があります.誰の言葉だったか忘れましたが,「経験はすばらしい教師である.しかし,授業料が高い」というのがあったと思います.会話によるコミュニケーションによって,他者の経験を間接的に学べば授業料は安くつきます.

また,自分では知ることが出来なかっただろう情報や自分ではしなかった解釈が,人の会話にであることもあります.こういうのは本を読んでいたり,ネットで情報収集をしていてもあまり巡り会えません.会話の方がそういう情報や解釈を得ることがだいぶ簡便です.リアルタイムで進む相互コミュニケーションの利点がそこにあると思います.

2点目は,世間話のなかで重要な話が出てくること.新しいプロジェクトをどうするかとか,おもしろい奴がいるけど使ってみないかとか言う話は,もちろん公式な場でも出ますが,世間話の延長として話されることも多いものです.しかも,そのほうがいろいろ詳しく聞くことが出来ます.また,世間話の延長のなかで自分の研究について議論したり,新しいテーマの可能性を示唆されたりということもあります.

最後は,話し合わなければ尊敬は得られないこと.まあ,大人のつきあいですからコミュニケーションを避けていてもやることをやっていればそれなりに何とかなります.それでもまわりから尊敬を受けて,きちんと仲間として扱ってもらうためにはやはり話し合わなくてはなりません.どんな小さなことでも良いから,自分の意見を言い,人の意見を聞く.そして,たまには冗談を言ったりする.そういうやりとりがあってこそ,はじめて同僚あるいは仲間としての尊敬が得られるのだと思います.黙って仕事をやって,成果を上げればそれなりの扱いはしてもらえるかもしれません.しかし,それは,成果に対する尊敬であって成果を出した人への尊敬ではありません.

最後の話はメルボルンへ来る飛行機で読んだ雑誌「Number」の記事がわたしのアイデアの元になっています.現・鹿島のFW 鈴木隆行の特集のなかで,当時鈴木が所属していたベルギーのチーム,ゾルダーのキャプテンがインタビューで鈴木について述べていました.詳しい内容は忘れましたが,およそこんなことをでした.「外国人選手がチームから尊敬を受けるには結果を出すだけではダメだ.話し合って仲間にならなければならない.お互い意見をぶつけ合わなければ決して尊敬は得られない.」うん,たしかにそうなんですよね.仕事が出来るだけでは仲間にはなれません.意見が合うにしろ,あわないにしろある程度感情のこもった人間としてのやりとりがないと仲間にはなれないと思います.仲間になれなければ,当然仲間としての尊敬は得られません.

この記事を読んでから「出会いに照れるな」と自分を叱咤して,誘われる限り顔を出すようにしています.