仲間になると差別も消える?:差別と偏見の心理学(3)

これまで偏見や差別が生まれてくる過程について,(1)偏見や差別は学習や経験によってのみ身に付くものではないこと,(2)集団に分かれることだけで偏見や差別が生まれること,を紹介しました.

差別や偏見にこのような特性がある以上,人間は基本的には他人に対し偏見を持つことを避けられません.なぜ,このような特性があるのでしょうか?それをかえることはできるのでしょうか?今回はこの2つの疑問に答える実験をご紹介いたします.論文はこれ.

Kurzban, R., Tooby, J., & Cosmides, L. (2001). Can race be erased? Coalition computation and social categorization, Proceeding of National Academy of Science U. S. A., 98, 15387-15392 (*1).

この論文の第2第3著者であるUCSBのToobyとCosmidesの二人(*2)は現在の進化心理学を形づくり,今なお(っていってもこのムーブメント自体そんなにたっている訳でもないのですが)第一線で活躍する研究者です.そこの大学院生であったKurtzbanを含む彼ら3人は人種差別について進化的な視点から考えてみることにしました.

われわれの祖先が生きていた時代,異人種に会うということはまず考えられません.通常の移動範囲はせいぜい100kmほどでしょう.異人種に会うためには多くの場合何万kmも移動しなくてはなりません.この状況はつい最近まで続きました.自然淘汰と適応に基づく進化は人間の場合,万の単位で考えるべきことです(*3).ですから,人種を見分けたり,異人種に偏見を持つことが,進化によって組み込まれた心的機能であると考えることには無理があります.

一方で人種に対する偏見は非常に強く,あたかも生まれつきのような側面もあります.そこでKurzbanたちは,人種に対する偏見が,進化によって組み込まれた何か別のメカニズムの副作用として生じていると考えました.その別のメカニズムとは何か?Kutzbanたちは,社会の中で協調関係を認知するメカニズム,あるいは,仲間を見分けるメカニズムの副作用として,人種に対する自動的な偏見があると考えました.

協調関係を認知するメカニズムは,非常に単純で,これまで協調行動を取った人とおなじ見かけの人は,これからも協調行動をとるという予測をします.行動と見た目の相関関係を取り,それに基づいて予測するわけですね(*4).もちろんそんな単純なメカニズムでは,人間集団間の複雑な利害関係の変化についていけません.従って,集団間の認知は極めて容易く刷新されるように出来ているとKurzbanたちは考えました.

彼らはこのアイデアを,記憶の間違いをつかって確かめました.実験にはアジア系,そしてヒスパニック系の大学生が参加しました.8枚の人物写真(白人,黒人4人ずつ)とその人物が話した短い文が3つ用意されました(計24文).また,被験者には,8人はふたつのバスケットボールチームのどちらかに所属していること,2つのチームはライバル関係にあり,この間ひどい乱闘騒ぎを起こしたことが伝えられました.被験者は短い文をひとつずつ写真と共に見せられ,その印象を述べることが求められました.すべての印象について述べたあと簡単なパズルが行われました.

被験者は,パズルが終わったあと先ほどの文をひとつずつ見せられ,どの人物の発言であったか回答することを求められました.被験者には事前に記憶課題であることが伝えられていなかったので,たとえ24文でもなかなか難しい課題です.

さて,この課題に写真の人物たちの協調関係についてひとつの操作が加えられました.一方の条件では,写真の人物はすべて同じ色のユニフォームを着ていました(同ユニフォーム条件).もう一方の条件では半数(黒人白人2人ずつ)は黄色,残りは水色のユニフォームを着てました(異ユニフォーム条件).ユニフォームがすべて同一ですと写真から所属チームが判断できません.ですから,写真の自分物たちの協調関係はわかりません.しかし,2つの色のユニフォームがあれば,同じ色のユニフォームは同じチームに所属することになります.ですから同じユニフォームを着た4人には協調関係が存在することを被験者見て取れます.

実験終了後,被験者の記憶の誤りについて,誤り方のパタンを検討しました.ユニフォームが同じで,チームという協調関係を被験者が知覚出来ない場合(同ユニフォーム条件),人種内での混同が多発しました.一方,チーム内での混同はほとんどありませんでした.それに対し,2種類のユニフォームがあり,チームという協調関係を被験者が知覚できるとき(異ユニフォーム条件),人種内の混同は消失しました.一方,チーム内での混同が多発する結果になったのです.

人種内の混同があるということは,人種をひとつの集団として認識していることを示唆します.集団に分かれることが自動的に差別や偏見を生む出すことを考えると,このような人種内の混同は,何らかの偏見を示唆します.

この実験で興味深いことは,この何らかの偏見を示唆する人種内の混同が,チームという新しい協調関係の枠組みを与えたことで消失したことです.これは人種に対する偏見が,生まれつき備わったわれわれの認知様式ではなく,何らかのきっかけで取り去ることが出来る一時的なものであることを示唆しています.

このエントリーの最初に述べた疑問の答えをまとめると以下のようになるでしょう.差別が自動的に生ずる背景には(少なくとも部分的には)仲間を見分けるメカニズム,あるいは協調関係認知のメカニズムが関わっている.そして,このメカニズムは固定的ではなく,フレキシブルでなもので,関係の変化に伴い認知を容易く刷新できる.すなわち,(このメカニズムに由来する)差別や偏見は固定的なものではなく,変化させたり消失させたり出来るものと考えられます.

実験としては記憶の間違いを調べただけです.また,人種差別における知見が他の差別や偏見に適用できるかはわかりません.それでも,この結果は差別の根本となる心理的カニズムについてひとつの示唆を与えると共に,その解決について理論的な道筋をつけるものではないかとわたしは考えています.

ダーウィンの考えを中心におく進化心理学は,しばしば差別や偏見を助長すると非難されることもあります.自然淘汰や適応という概念が,弱者は滅びるべきものだという非道徳的な意味合いを持ってしまうからかもしれません(これは本質的に間違いです).しかし,このように差別や偏見の理解や解決に,これまでの心理学から見ると全く新しい貢献をすることも可能なのかもしれません.

関連記事

カエルの子はカエルじゃない?:差別と偏見の心理学(1)
身内びいきはすごいのね:差別と偏見の心理学(2)
<HG玩具>同性愛者差別を助長と発売中止要請(毎日新聞)
[時事問題]悪循環(さいころじすと日記)



(*1) Proceeding of National Academy of Science U. S. A,通称,PNASはネネット上に公開されています.もちろんこの論文もPDFをダウンロードできると思います.ちなみこの論文について,個人的にはreviewerがMDSやメンタルローテーションのシェパードだったことがヒット.性淘汰の本を書いた***の指導教官でもあったんですよね.守備範囲広いなあ.

(*2)この二人は実生活でもパートナーな訳ですが,こんなに有名になっちゃうと分かれたら大変だよなあ(どーでもいい話).

(*3)わたしたち人間はおよそ3万年に誕生し,その後,生物学的には変化していません.言い換えると3万年前の赤ちゃんをタイムマシンで現代に連れきて育てればわれわれの社会にすんなりとけ込むことが出来るわけです.進化心理学では人間が誕生した3万年前の世界における自然環境や社会状況に適応できるよう現在の人間ができあがったと考えています.ですから,進化という視点で考えるときは,この3万年前の世界が重要になります.

(*4)人間の行動は複雑である行動や反応をしてもそれが直ちに,協調関係を表すか,敵対関係を表すか定かではありません.例えば,あなたに笑いかけた人がいるとします.もちろんこのひとはあなたと仲良くしたいのかもしれません.一方で,笑いかけることで安心させ,あなたを騙そうとしているのかもしれません.前者なら笑いかける行動は協調関係のあらわれですし,後者だと敵対関係のあらわれとなります.また,行動は一過性のものでそれ自体すぐに失われてしまいます.そこで,Kurzbanたちは,協調関係検知システムが,協調を取った人がもつ変化しない特徴をわれわれは自動的に記憶し,今後の協調関係の判断に利用すると考えました.例えば,言葉のなまりや肌の色などは基本的には変化しません.ですから,このような特徴を自動的に記憶して今後の判断に用いるようになると考えたのです.