言葉は認識を支配しない:言語相対性仮説批判(1)

この間,英語で考えるというエントリーを書きました.そのとき,アメ男の妻さんからコメントをいただきました.アメ男の妻さんは,さらにこの件に関して,英語でしゃべるときは英語脳じゃないの?というエントリーをご自身のweblogでお書きになっています.基本的には,わたしの「英語で考えるなんてのはないよ」という主張に納得できないということをお書きになっています.

前のエントリではさらっと書いただけなので,わたしの主張の根拠については甚だ説明不足です.ですから,納得できないという気持ちはわかります.そんなわけで,もう少し詳しく書くことにしました.これを書く理由はアメ男の妻さんが取り上げてくださったからというのがもちろんありますが,もう少し一般的な問題を含んでいます.

アジアからの留学生と話していると多くの学生が英語のクラスにおいて,「アジアの言語は論理的でないので,論理的に考えるには英語で考えるように」という指導を受けているようです.わたしはこれに全く賛成しません.少なくとも根拠はない主張です.それにもかかわらずやはり多くに受け入れられているんですね.

そんなんただのアジア蔑視だぜ,なんてわたしは思っちゃうわけですね.映画のYear of the dragonで中国系ギャングスターのJohn Loneが,白人の刑事であるMickey Rourkeに「おまえらが洞窟に住んで生肉を食べていた頃,わたしたちは都市文明を築いて銃で戦争をしていたんだ(正確なセリフは失念)」なんて叫んでいたシーンが心に浮かんでしまうんですよ.そんなわけで,やっぱりきちんと書いて誤解を解いておきたいなと思ったのです.

ただし,でかいトピックなので2-3回に分けて,(1)言語が認識や思考を支配するという言語相対性仮説の批判と(2)抽象的言語処理の重要性について書いていこうと思います.今日はまず言語相対性仮説の批判をちょびっと書いてみます(*0).

で,本題.

「世界は言語によって認識される.従って,言語が認識や思考を支配する」という考えを(強い)言語相対性仮説といいます.「英語で考える」「日本語で考える」というのはこの立場からの現象の解釈になります.

言語相対性仮説を支持する証拠としてよく取り上げられるのが,パプアニューギニアの高地民族は色の分類のために2つしか言葉をもたないとか,イヌイットには雪を様々に分類する言葉がある(英語ではsnowだけ)とかいうのがあります.言語相対性仮説が正しければ,このような言語の違いは,世界の認識やそれに基づく思考に大きく影響するはずです.でも,データをとってみると色を分類する言葉を2つしか持たないパプアニューギニアの高地民族でも,非常に正確な色の分類ができます(*2).たとえば,ライトイエローとだいだい色が違うなんてのは,当たり前ですが,それに対応する言葉がなくとも当然見分けられるのです.要するに言語における色の記述の違いが,実際の色の認識を支配するなんてことはないのです.

色の分類なんてのは人間の高度な認識とはいわないという人もいるかもしれません.ところが,色の分類,あるいは認識だけでなく,色の記憶でも同様の結果が得られています.欧米人では色の再認課題(*1)において,はっきりとした色の方が,曖昧な色より,成績がよいことが知られています.たとえば,燃えるような赤の方が,赤にいろいろな絵の具をまぜたような色より記憶しやすいのです.この結果はパプアニューギニアの高地民族でも再現されました.つまり,はっきりとした色の方が,曖昧な色より,成績が良かったのです(*2).このパタンは高地民族がもともと持っている2つの言語的な色分類に影響されませんでした.ですから,このパタンは言語相対性仮説では説明できません.これらの結果は,たとえ言語の表現に違いがあっても,世界の認識や,その記憶に言語による違いはないことを示しています.すなわち,認識や記憶は言語によって支配されているわけではないのです.

イヌイットの雪の話は,データ以前の問題です.日本語にしろ,英語にしろ,雪を分類する言葉はイヌイットの言葉に負けないくらいたくさんあります.例えば,雪/snow,吹雪/blizzard,水雪(とけた雪)/slush,みぞれ/sleetってな具合です.つまり,イヌイットだけが雪についていろいろな分類をもっている訳ではないのです.従って,イヌイットの雪については,言語相対性仮説を支持する現象自体が存在しないことになります.

とまあこんな感じで言語相対性仮説の俗説的な証拠をちゃんと見てみると,ほとんど証拠としての役に立たないものであることがわかっています.

でも,まあ色とか雪とかそんな単純なことじゃなくて,概念を操作するとか,推論するとか,論文を書くとかそういう複雑なことが焦点だって考える人がいるかもしれません.次回はその辺の話をしようと思います.

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(*0)リアルでの知り合いはわたしがこんなこと書いてるの見ると笑うかもしれません.まあ,海より深い我が師の恩ってことで.わからないひとはごめんなさい.
(*1)一度見せたものを,あとで見せてないものと混ぜて提示し,見せたものかそうでないかを問う課題
(*2)Heider, E. R. (1972). Universals in color naming and color memory. Journal of Experimental Psycology, 93, 10-20.