後悔しない意思決定

後悔しない意思決定 (岩波科学ライブラリー)

後悔しない意思決定 (岩波科学ライブラリー)

まじめな本です。著者の人柄が表れていますね。丁寧でまじめ。きちんとアイロンのかかったシャツのような感じです。なんて言ってもどんな本なのかわからないですね。

内容としては主観的期待効用モデルの立場から書かれた意思決定の入門書。とにかくまじめで読みやすいです,はい。

文中にあるいろいろな逸話が,読みやすさのためだいぶ工夫と苦労をなさったんだろうなと思わせてくれます。そこもまたまじめ。

  • 時間論文。rebuttalの第1稿を書き終わる。かなり長いな。よく読み直してちまちま削りましょう。来週の頭には仕上げて送り返してしまいたい。どうせもう1ラウンドあるのだし,悪ければrejectなので結果が出るのが早いに越したことはない。
  • むかしのNの論文を引っ張り出して読む。やはりこのトピックに腰をつけてじっくりやった方がいいのだろうか?目線の高い研究にはやはりバックグラウンドが必要で,バックグラウンドが一番しっかりしてるのはこのトピックなのでした。Nが方法論の違いとして片付けているところを理論的な違いにまで昇華できるならおもしろい話にできるかもしれません。
  • 学科内の予算関連事務仕事。ちょっと迷惑をかけることになりそうで申し訳なし。

研究者人生双六講義

研究者人生双六講義 (岩波科学ライブラリー 96)

研究者人生双六講義 (岩波科学ライブラリー 96)

別の本を買おうとして横にあったので買って読みました。

研究者たるものの心構えについて,東京医科歯科大の大学院生向けの講義をまとめたもの。大学院重点化以降生じた大学院生の過剰供給状態が続いたからこそうまれた講義なのかもしれません。それまで一子相伝的に伝えられてきたものをシステムとして伝えていく必然性が出てきたのかもしれません。崩れなんかの問題もここのところだいぶ深刻ですし。

さて,内容ですが,非常に目線が高い。目指すなら超一流を志せ!というものすごいポジティブなメッセージがここそこにあふれています。著者は心理学関連の本によく登場する著名な生理学者なので,多少の違いはあるものの,基礎系の心理学者には理解しやすい部分が多いかもしれません。

まわりに偉い人,すごい人がいない人はこれを読むと姿勢がよくなるかもしれません。

この手の本を出している人に白楽ロックビルがいますが,彼の本に比べるとに比べると抽象的でイイ意味での精神論になっています。

03/14/2007

  • P誌からの査読依頼。web関連でトラブってようやく原稿を入手。ちとこれはいかんですな。コメントの第1稿終了。ちなみにたまたま出張先の研究者にもおなじ論文がまわっていた。うーん世界は狭いですな。まあ近い分野の人だから一緒に仕事をするともいえるわけで必然といえば必然。
  • N誌からも査読依頼。Nっつーても有名なやつではありません。とほほ。P誌,N誌どちらから送られてきたものも基本的には同じトピック。
  • 時間論文。B誌からeditor decisionで書き直しを強く指示するメールが帰ってくる。でも,editorの勘違いなので書き直さないことにする。というわけでしこしことrebuttalを書く。
  • 手バイアス実験のアイデアを練る。実験1アンクロス,実験2クロス,実験3張りぼてアンクロスってなかんじでしょうか?これも小さな実験だ。もっと視線が高いものがやりたいのだけれど。

英語は必要か?

研究者として英語は絶対に必要です。特に心理学は学問体系の基礎をヨーロッパベースの文化においています。ですから,その文化における学術的公用語である英語なしに研究はできないでしょう。きちんとデータをとる分野でこの傾向は顕著になります。

ただ,英語を学ぶことによる損失も存在します。まず,時間および労力の損失です。非英語圏の研究者は英語を学ぶことに非常に大きな時間と労力を費やします。英語にあてる勉強時間をそのまま研究にあてられたら,生産性はもっとあがるかもしれません。また,英語を学ぶことにより文化の独自性が失われるかもしれません。昔から言われていることですが,日本では海外の研究を焼き直したようなものがとても多く行われています。この傾向は英語の重要性が高い分野や文化による差があまりない分野で特に強いかもしれません。心理学に限れば,知覚の実験心理学などが当てはまるでしょうか。日本の知覚心理学の研究レベルは国際的にも高いですが,研究の源流は海外にあります。また,レベルが高い研究者も海外で教育を受けたり,トレーニングを受けたりしています。臨床系の研究者のなかには英語と無縁の人もいます。こういった人の中には独自の世界を創り上げている人もいてこれはすごいなと思うことがあります。あくまでも印象論ですが,外国語を軸にしないことで,独創的なものができるのかもしれません。

研究面で,レベルの高い英語圏からの影響が強いのはしょうがないと言えばしょうがない。しかし,研究以外の面では,英語圏からの影響があまりにも強いのはどうかなと思っています。なにごとも価値観が多様な方がよいと私はおもっているので。

価値観の多様性を失わないためにはあまり英語を一生懸命やらない方がいいのかもしれません。日本が独自の文化を発展させてきた背景には地理的な断絶と言語的な断絶があります。これらが外国からの直接的影響をだいぶ小さくしてきました。いまでも日本国内で生活する限り,英語を含め,外国語を使う必要はほぼ全くありません。もちろん日本は鎖国をしているわけではありませんし,貿易をせずには存続できません。ですから外国語を理解して使う人もいなくてはなりません。でも,そんなひとは人口の5%くらいいればいいんじゃないですかね。ほとんどの人は日本語だけでもまったく困らないでしょう。実際ほとんどのひとは困ってないでしょう?

日本はとてもユニークな文化を持って,しかもそれをある程度維持して発展してきました。アジアやアフリカ,東欧の国々ではその点を非常に評価しています。これら以外の国でも,ユニークな文化を評価する人はたくさんいます。日本食にしろ,日本庭園にしろ賞賛する人はたくさんいます。この辺は金持ちが好むものになっています。別の角度ではマンガ,アニメ,電気製品などをとてもカッコイイものだと評価する人も多いわけです。これは主に若者中心でしょうか。

一生懸命,英語を勉強してこういうユニークでカッコイイものを失うのもばかげているよなあと,英語の国への出張中に考えておりました。